保土ヶ谷教会は私が司祭になって初めて赴任した教会です。不安がたくさんあ りました。一番大きな不安は、日本人の信者さんたちが私のようなフィリピン 人を受け入れてくれるだろうかでした。その不安の元は深く考えるとラリーは 皆さんに何もあげるものはないということです。

つい最近保土ヶ谷教会を離れて同じように思っています。何かあげられたのだ ろうかという心残りです。迷惑ばかりかけた私をどうか許してください。

神学校で14年間の長い養成期間の中で、いつも、いつも ”寛大さ” ということを頭にたたき込まれました。自分にもそれを強く求めました。司祭 になる前に私はブラジルに行きたかったのです。なぜかというとそれには貧し さがあるから。自分が困っている人たちの役に立とうと思ったのです。でも、 日本に派遣されて、ここでは私は役に立たないと思っていました。

フィリピンで私の高校時代の友達にこういうことを話した時に、彼は ”それならば、フィリピンに帰ったほうがいいのではない?”といいました。 それを聞いて、私はすごく考えてしまいました。正直にいうと正しと思いまし た。でもどうしてまだ日本にいつづけるのか。

信仰的にラリーが保土ヶ谷教会にいることの意味は何なんだろう。それはこの 三年間の中では分かることができない.と思います。十年、二十年経ってまた皆 と会ったら ”ああ、こんなことがあった.、 あんなことがあった” ときっと出てくるでしょう。その時神様のご意志をそうだなあ、と思えるよう になるでしょう。

私の人生の中でどの出会いも神聖なものだとよく分かりました。それがよく分 かるのは、分かれるときに”自分は人間的な係わりを必要としている”と感じ ることです。それだけではなく自分は他の人の心の中に居場所を作ることがで きるとも分かるのです。それはいつまでも心の中に存在し続けることです。朽 ちはてるのない宝石のようにいつまでも心の中にあって、その人自身の一部に なって共に生きていくのです。だから神聖なものです。神様の広い、永遠な計 画、意志に触れることのできたものなのです。迷惑であっても。とにかく、こ の三年間の経験をくださって皆に感謝の気持ちを申し上げます。