ある時,教会で青年の集まりがあった時,私はたずねました。“ミサに参加しないと,天国にはいる事ができないの?”と。 青年たちは冗談だという表情で苦笑いしていましないた。私がまじめな顔をして“ごミサにでないと天国に入れない”ともう一 度いいました。

今日は昇天のお祝いの日ですガ,同じ事をみなさんに言いましょう。“ごミサに参加しないと天国に入れません”

ではまず,天国に入るということについて話します。どういう意味でしょうか。今日の福音には,イエス様は天にあげられたと 言われています。英語の聖書だと,lift upです。これは運ばれたという事です。天国に入ると言うことは,入るとかいくという表現よりも,運ばれるということ,つま り神様の手によるのです。もっと深く考えるとたとえば,私たちが,他の人を引き上げる時は,困っている人や苦しんでいる人 を助けおこす,またはひきおこすといったような事です。だから昇天は十字架の苦しみがないと意味がありません。天国に入る ということは,私たち人間の弱さ,みにくさ,苦しみなどを乗り越えることなのです。

さて,今日の話しのはじめに“ごミサに参加しないと,天国に入れない”と言いましたね。それではごミサに参加するとはど ういうことなのでしょうか。今日の福音を書いた人はルカですが今日の第一朗読の使徒たちの宣教もルカが書きました。ルカ の福音と使徒たちの宣教は同じルカによって書かれ,その構成は3つからなっています。第一はイエス様の時代,それから教 会の時代,そして聖霊の時代です。イエス様のことについてはルカの福音書に書かれています。教会の時代と聖霊の時代のこ とは使徒たちの宣教に書かれています。イエス様の時代と聖霊の時代の中にある教会の時代,つまり教会はイエス様と聖霊を つないでいます。この真ん中にある教会は何をしますか?イエス様は,罪のゆるし,困っている人々への助け,病人のいやし ,圧迫されている人々の側にたつことなどをなさいました。このイエス様のなさった事を思い起こし,今も続いていることで 聖霊の時代が始まったのです。このことのしるしとしてミサがとても重要になりました。

社会の中で困ったり,苦しんでいる人々が互いに助け合っていくことができたら,神様も私達を引き上げて下さるこいうこと なのでしょう。

第一朗読で,白い服を着た二人が“なぜ天を見上げているのか”と言っています。天国は見上げるのではなく,この世の中の 私たちが互いに引き上げていくことで,入ることができるものなのだと思います。