紀元一世紀の80年9^Aにイスラエルのジャンにヤというところは、ユダヤ教の中心地になりました。そこでたくさんパリサヤ派の 人々が集まって、いくつも別れているユダヤ教の考え方一つのまとめようという活動が活発になりました。それ以前はユダヤ教 には複数の解釈がありました。この改革の結果、それぞれの小さい共同体のシナゴグ、つまり礼拝と勉強のための場所ではユダ ヤ教から外れた人たちに呪いの言葉を唱えなければならないことになりました。ShemonehEsreh、18番めの祝福 だといいます。外れたグルプの一つがキリスト教でした。それ以前、イエス様に信仰を持っている人たちは自由にシナゴゴの礼 拝に参加することができました。でもそれ以後、礼拝ができなくなっただけではなくて、シナゴグから完全に他のところに追い 出されました。

当然キリスト教の中にいる何人かの人たちは、ユダヤ教から離れずになおかつ追い出されないように、と。キリスト教の信仰を 捨てました。この状況の中で今日の福音が考えられて書かれたのですヨハネの共同体はその分裂の経験を経て80年に殺されたイ エス様のことを思い出したのです。見捨てられたキリスト教の人たちにヨハネはイエス様の羊飼いの姿を思い起こしました。

(福音)ヨハネ10:27ー30

ヨハネの福音は今まで代代受け続かれてきました。今日の福音の見捨てられた人たちに優しいそして安心を与える言葉があるか らです。
見捨てられた人というのはどの時代でもいつも存在してますから。今でも。