友達彼は五年間もの長い間両親と会わずにいたのですが先週の土曜日やっとご両親が日本に来ることになったのです。彼は都合 が悪く空港に迎えに行かれなかったので私が代わりに迎えに行ったのです。飛行機は夜8時半に着く予定でしたが案内板に20 分遅れるとありました。私はその案内のことにはには気が付かなかったので、出口から出てくる人達の持ち物にヒリピン航空の ふたを探しました。一時間立ってもそのふたが見えなかったので不安になりました。

10時になってアナウンスがあり霧により飛行機は羽田空港着陸変更になったと知りました。友達の両親は二人とも70歳を過 ぎているので私は彼らのことがとても心配になりました。友達と私は何度も電話で話しました。彼はとても心配していました。 私が結局羽田に行き、夜中の2時にやっと彼の両親に会うことができました。それから友達に電話をし彼はお父さんと話しをす ることができました。彼が電話で話している間。私が考えていたことは"私は7時間空港で待っていたけれど、友達はこの瞬間を 五年間待っていたのだ"ということでした。

私たちの待つという経験はいろいろありますねある時は期待して待っていても来ないこともあるし、遅れることもある、待ち合 わせの場所が間違っていたこともある、時間通りにあれば、お互いにすれ違ってしまうこともある。

今日の福音は神の国は来ると信者達が待ち望んでいた時代に考えて書かれた福音です。この信者達の間違った期待は良く分かり ますが、神の国待ちながら、実は他のすばらしい考え方や生き方も生まれました。使徒パウロの教会への手紙の話はこういう考 え方と生き方の一つなのです。最初の"私たちの主イエスが。。。のような精神的な成長は待つことのおかげで成し得るのです。

友達と彼の両親がやっとあった時に私はこの家族は再び一つに熟れたのだと思いました。私自身も入れて。7時間待ったことの おかげで。
。。。いいえ友達が5年間待ったおかげで。