私たちの忙しい生活の中で休みが必要だということは皆さん分かりますね。体を壊さないように時々体を動かすのを止めなけれ ばなりません。体だけではなく、私たちの頭も休まなければなりません。いろいろな心配を少しそこに置いて、心も休息する必 要があります。

元々は神殿や教会の建物、神社、お寺などはそのような体と心を休ませろところです。今でも、田舎などにある古い神社に行く と古い木のしたで心配後事や気にかかる事から解放される気分になりますね。

多分そういうところは、私たちの日常の生活とは違ったところなのでそのように穏やかな気持ちになれるのでしょう。

まるでこの神殿や教会の建物、神社、お寺などはこの世とは別の空間なのです。 その空間の役割を 尊重しなければ、それらの建物や場所は人間の休息のためではなくて、ただの重荷になってしまいます。自由に訪れるより義務 としてそこに行くようになるといろいろな拘束できてしまいます。休むための場であるにもかかわらずいろいろなことに縛られ てしまいます。

イスラエルの予言者達が強調しているメッセージが一つあります。神殿、神様の場所に行くときは何も荷物を持たないで自分だ けが訪れることでそれが一番のささげものなのです。
このメッセージを今日の福音のイエス様の怒りの中に聞くことができます。 神様の家は人間の平 安のためなのです。