マルコス大統領の時代に市民が軍隊の圧政に対する反対運動をしました。ある日この中の一人が逮捕されて三ヶ月行方不 明になりました。家族は三ヶ月探しましたが見つかりませんでした。ある日誰かが腐敗した体を見つけました。この体は あの時逮捕された人の体だということを確認する時に私も行きました。彼は以前バイクの事故にあって鎖骨をあっていま したので死体を見た時に折れた鎖骨によって彼だということが分かりました。私の友達の腐った体を見た時にそれは汚く て悪臭をはなっていたのにもかかわらず神聖なものに感じました。軍隊がこのこの神聖名体を汚したと思うと心がいたみ ました。軍隊の人によってこの人の体は何の価値もないものでした。
現代の社会における体の価値とはどんなものでしょう。アフリカや北朝鮮などの貧しい国の飢えた子供たちの体は政治家 の権力にあって、もて遊ばれているように私には思えます。また裕福名国のことを考えてみましょう。 たとえばモデルさん。この人た ちがかっこうが良ければ値段が高いでしょう。まず体に値段がついてます。つまり私たちの体は商品になりました。私たちの働 きすぎている体を考えますと私たちの体は経済の道具になってしまているのではないでしょうか
今日のマリア様の昇天の話でマリア様は体も魂も天にあげられたという信じがたい教えがあります。この教えの根本は人 間の体は神聖なものだということです。利用して捨てる物ではなくて、体はどこかに神様の計画の中でいい場所が備えら れているということでしょう。

どうして私たちの体は尊厳があるのか。私たちの体は霊の神殿、神様の家だからです。 今日の福音 ににあります。 イエス様は "憐れみ代よに限りなく、飢えた人に良いもので満たす、権力あるもの をその座から引き降ろす。

このイエス様はマリア様の胎内に宿られたのです。私たちの体にも同じようにほかの人に対しての愛や思いやり、希望、 ほかの人の体に対する尊敬などが宿っています。つまり神様の御旨が宿っているのです。その私たちの体の威厳は誰の権 力によっても捕らえられません。