イスラエルのあるところにとても子供を欲しがっている男の人がいました。 彼は神様に祈りました。「も しも私に子供を授けて下さったら、神様の掟を命をかけて守ります」と。そして彼は子供を得ることができ ました。彼は約束とうり、掟をきちっと守って暮らしていました。ところがある日子供は誰かに殺されてし まったのです。彼は再び神様に誓ったのです。「私の命の全てをかけてその犯人を探して殺してしまう」と 。妻もすでになくなっていたので、彼は一人で、イスラエルの大切な習慣である“過越の食事”をしていま した。そこに見知らぬ人が訪ねてきたのです。イスラエルの習慣では“過越の食事”に訪ねた人はどんな人 でも共に食事をする事になっていて。その上この食事を共にした人の命はどんなことがあっても守らなけれ ばならないのです。見知らぬ人は「実は私はあなたの子供を殺したのです。」と告白しました。この父親は どうすることもできず、号泣しました。

イエス様の最後の晩餐の意味はただ送別会としてだけではなく、共にテーブルを囲んだ人たちがおたがえに 守り合うようにという約束のです。私たちにも神様が同じような約束があります。一緒に祭壇で食事をしま したから、神様は私たちの命を守って下さいます。何があっても。