私たちはいつも神様ではない物に接することで神様を理解することができます。私たちの良くない状況を見 る時に逆に神様に良い存在が見えます。

人類の歴史をながめて見ると、時を経るに連れて私たちはより複雑なことが理解できるようになってきまし た。人間はすばらしい知恵を身につける可能性があると思います。でもどのよう考えても限界があるのです 。この限界を感じる時、完全な知恵がどこかにある気がします。

社会の歴史を見てもすばらしい文化や組織は人々はつながることによって生まれてきました。でもこの歴史 の中で創れた文化や社会の構造が人々を圧迫することがあります。人々の力で解放できないこともあります 。この点で私たちは全能の救いの手を求めているのです。

自然に目を向ければ自然の性の強さに気が付きます。自然の姿を見ると畏敬の念を覚えます。でも一方では そのもろさも見えます。人間のおろかさや社会構造の残酷さ自然のもろさを見ると神様の完全な知恵、深い 哀れみ、無限の創造性が見えます。今日の福音で「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」と書 いてあります。 この上之知恵、神の哀れみ、神の創造性がいつも私たちと共にいるためには会心すること を忘れ手はいけません。いつも私たちの知恵の限界、社会構造の残酷さと自然のもろさに目を向けましょう。